先日、調子こいて、大きくダイエット失敗しました。
誕生日までの70Kg台突入の目標がもしかしたらここ数日で達成できるかもと、
ムリをしたのがタタりました。
リバウンドしたわけではないのですが、
完全に体調を崩してしまって、今もなおツライ。
とはいっても、外見的にかなり変ってきているようで、
会社の上司からも「痩せたなぁ」と感嘆の声を頂きました。
痩せる事がいいことかは別として
(生活習慣病関係の話ではなく、美容系のお話として)
自分が望むほうへ向かっていくのは、とても心にいいことだと感じます。
今までになかった自分というのが現れてくる、変化という事です。
この変化という言葉ほど自分にとって栄養となるものもありません。
僕の嫌いな反応のひとつに、昔と変らない、
もしくは変っていない扱いをされる事。
今から2千年近く昔の中国、三国志の時代に
『士,別れて三日なれば,括目してあい待すべし』
という言葉がありました。
これは、3日も離れていれば、変っていて当然、
しっかりとその変化を見極めなければならないというような意味です。
僕は毎日のように変化のあるものを探しています。
ある種趣味というより、ライフワークに近いかもしれません。
自分が変われるものに自分を飛び込ませる。
かっこよく言えばこんな事になるかも知れません。
そういった変化を基本は見せないようにしています。
それは意識してやります。
でも結果として、それが、隠し通せてしまううちは、
恐らくまだまだ変化しきれていないという事なのだと思っています。
それでも、本当に変化しているものは、正直隠し切れなくなるのが事実です。
そんな事実に目をつぶり、昔と一緒を望む人と一緒に居ることは、
自分にとってどれほどプラスなのかという疑問をよく持ちます。
昔と同じというお約束パターンを望むのは男に多いと思うのは、
僕が男嫌いのせいでしょうか…。
それは女性であっても同じなのでしょうか…。
こんな疑問をいつも、特にここ数日、数ヶ月の間で一番思っていることです。
話が右往左往します。
僕にとって特にこの5・6年の間のテーマは「恋愛」と「女性」
男である自分にとって決して相容れないものが「女性」で、
その女性との繋がりを生み出す唯一無二の条件が「恋愛」。
これ以上の変化をもたらすものはないと考えています。
でもここ1、2年で一番感じる事、
それは、愛を求める事と、性を求める事は、
似ているようで、全く別のものであるという事。
そして、恋の延長線上に性はあっても、愛はないこと。
恋愛に対して懐疑的になる。
とても言い得て妙な言葉があったものだと思うのです。
まさに今の自分にぴったりの言葉。
女性を求める気持ちは昔と変らず、今もなお、強く持ち続けています。
しかし一方で、愛を求める気持ちはあまりありません。
それは、ある種、男に対して思う不信感に似た気持ちを
女性に対しても抱きつつあるからかも知れません。
多くの女性が僕に教えてくれた事は、「愛」ではなく「孤独」
その事実は、時と共に変えることの現実となる。
それが、僕の心を覆う時、美しき氷柱花となって、輝き始める。
「生」から生れる暖かな優しさではなく、
「死」から生れる失われる事のない美しさ。
僕にとって家族はとても大切です。
友達も会社の人たちも、大切です。
今まで出会った人、これから出会う人、皆大切です。
でも、それが僕という名の氷柱花だとしたら、
それは協力し何かを生み出すものではなく、
ただギャラリーに消費されるだけの存在となってしまう。
はて、僕は一体どこへ話を持っていきたいのだろう。
結論が、書いていて見当たらない。
僕ほど、欠陥のある人間はいないとすら思います。
しかし、多くの人が僕の現世(うつつよ)の欠点ばかりを論い(あげつらい)、
大きく開き過ぎた心を見ることが出来ないのに、
まるで、人よりも完成している心であるかのように評価する。
僕が助けを求める声を荒げたとしても、それは声にならない夢の声の如く。
なぜか話がまとまらない。
僕は前世など良く分からないのだけれど、
僕は、前世で男に裏切られた、もしくは辱められた女色の女ではないかと
なぜかそう思えてならない。
話がやはりまとまらない。
そのまま筆をおく事に致します。
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